ものづくりの現場から「明日への扉」第二章
前回のインタビューから5年が経過し、創業53年目を迎えた株式会社ミラック光学。
匠の技・日本のものづくりにこだわり続ける企業は、この5年間でどのように成長し、さらなる変貌を遂げようとしているのだろうか。“100年企業”を目指しミラック光学を牽引する村松社長に、現在と未来に向けたビジョンを語って頂いた。
記:ライター 神田
インタビュー日時:2016年11月1日(火)
現在の姿
――まずはこの5年間でどんなことに取り組んだのですか。
村松:海外展開・知的財産権の取得・アジア向け廉価版等の製品開発・新規事業の立案・立ち上げなど…。振り返ればあっという間でしたが、畑を耕し種を蒔くことを積極的に行ってきました。
――海外展開は具体的にどのような取り組みだったのですか。
村松:最初は光学機器・精密機器の本場・ドイツから始まり、東アジア・東南アジア・北米へと海外へ打って出ました。マーケットが縮小していく日本だけでなく、海外へ自社製品の販路を拡大していくことが当初の目的で、チャンスだと思えば展示会や商談会などへ積極的に参加をしていきました。
――海外の展示会や商談会で効果はありましたか。
村松:もちろんです。販路開拓に留まらず、展示会などではそれぞれの国のお客様の声を生で聞くことができ、「こんな製品を新たに開発できないか?」「この製品はこんな用途に利用できるかも」といったご要望やご意見もたくさん頂くことができました。そういった内容は、国によって微妙に違うのです。だから同じ製品を同じように提供するのではなく、それぞれのお国柄や商習慣に合わせた味付けに変えて提供しなければいけないことを学び、新たな製品開発にも結び付けていきました。
――海外の代理店やパートナー企業などもみつかりましたか。
村松:お陰様で、代理店・販売店については10ヵ国で良いパートナー企業とご縁がつながりました。また、販路開拓だけでなく、日本と同品質で安価な部品加工をする海外サプライヤーなどの仕入先開拓、優秀かつ信頼できる海外メーカーと業務提携してコラボ商品の開発をするなど、海外企業とのネットワークを広げていくことができました。
――知的財産権の取得状況などはいかがですか。
村松:はい、特許権・意匠権・商標権などは、国内・海外を合わせると現在80件を超える知的財産権を取得することができました。これらは弊社にとって無形の財産であり、開発=知財をモットーとする弊社の誇りでもあります。
また、平成27年度関東地方発明表彰において「東京都知事賞」を受賞し、社会的な評価と信用も得ることができました。
――アジア向けの廉価版製品を開発したとのことですが…。
村松:東アジアや東南アジアなどを回っていると、お客様の反応として「MADE IN JAPANは高品質だが価格が高い」「品質・性能はそこそこでも、安価なアジア製でよい」というローカル企業の言葉を何度も聞きました。
最初は「MADE IN JAPANの品質・価値がわからないお客様には、買って頂かなくて結構」と意地になっていましたが、お国柄や商習慣、製品に対する感覚・価値観が違うのならば、そのマーケットに合う品質・価格で製品をご提供することが本当の顧客満足につながるのでは…と考えるようになりました。
――それは御社の“ものづくりへのこだわり”と矛盾しませんでしたか。
村松:いえ、きっぱりと発想を転換しました。(笑)
ユニクロがジーユーを展開するように、大手航空会社があえてLCCにも参入したように、差別化して第二ブランドを作ろうと。
選ぶのはお客様です。弊社はメーカーとして、ニーズに合った製品をご提供することが使命だと割り切りました。
――自社製品でカニバリーをせず、共存共栄できるのですか。
村松:MADE IN JAPANのオリジナルブランドは、多種多彩な組み合わせでいろいろな用途に対応できる柔軟さがありますが、廉価版は機種を絞り込み、シンプルな用途に限定されます。明確に差別化をすることで自ずと購買層も分かれ、新たな顧客の掘り起こしにもつながり、共存共栄できると実感しています。
未来に向けて
――既存製品から派生する新製品開発だけでなく、まったく新しい新規事業を立ち上げたとのことですが、何か大きな理由があったのですか。
村松:弊社は2013年に創業50周年を迎えました。半世紀にわたって企業が存続するのは大変なことだと思いますが、私はお祝いの行事などは一切しませんでした。心の中は、危機感で一杯だったからです。現状に少しでも満足してしまったら、ミラック光学はきっと5年後には消えてなくなっていると…。何か新しいことに挑戦しなければいけない、そんな焦燥感に駆られてばかりいました。そしていつも頭の中をよぎるのは、“第二の創業”という言葉でした。
――既存製品や既存技術に不安があったのですか。
村松:いえ、緻密で繊細な職人技・匠の技術は必ず残っていくし、絶やしてはいけないものだと思っています。しかし、それだけでは100年企業を目指すにもビジネスとして大きな成長や発展は見込めないのが現実でもあり、“第二の創業”に向けた新たな取り組みを必死に模索していました。
――もがき苦しんでいる中で、新規事業につながるヒントを見つけたのですか。
村松:はい、あることがきっかけで“人工知能”に巡り合ったのです。
「人工知能??? 今までのミラック光学のビジネスと全く次元の違うものでは…」、誰もがそう思うでしょう。私自身ですら、最初はそう思いました。(笑)
――それなのになぜ、人工知能を事業として展開しようと思ったのですか。
村松:まず最初に、ある先輩経営者の方に相談をしたのですが、答えは「やめた方が良いのでは…?」という否定的な内容でした。しかし、私は逆にそれで自信を持ったのです。(笑)
私が大好きな言葉のひとつに、ビル・ゲイツの名言があります。
「自分が出したアイデアを少なくとも1回は人に笑われるようでなければ独創的な発想をしているとは言えない」
私はいても立ってもいられなくなり、調査目的でアメリカ・シリコンバレーに行きました。“思い立ったら即実行、自ら行動を起こさなければ何も生まれない”が私のモットーですから。(笑)
――本場のシリコンバレーに行って、どんな感想を持ちましたか?
村松:確かにいろいろな人工知能の研究開発が行われていましたが、見聞を広めていく中で私は一つのキーワードに気がついたのです。それが何かは内緒ですが(笑)、そこを追求していけば成功する可能性は大いにあると感じて帰国をしました。
――しかし既存製品とはあまりにもかけ離れた事業でリスクがあったのでは?
村松:リスクの無いビジネスなんて、ありません。戦略を立てたうえで勝負するかしないか、まずはそこだと思っています。幸いにも、ミラック光学は光学機器業界に身を置いて53年間にわたる経験と信用、納入実績、ネットワークを築いてきました。人工知能の能力を引き出すには、まず検査対象物(ワーク)を鮮明に画像として撮り込むノウハウが必要ですが、それを我々は持っていました。
一見するとかけ離れた事業のように思われますが、実は既存製品を納入してきた延長線上に存在しているのです。
――なるほど。その新規事業の製品は、正式にいつリリースされたのですか。
村松:2016年6月に正式リリースをし、日刊工業新聞にも記事が掲載されました。
製品名は「人工知能検査システム AIハヤブサ」です。
新聞記事掲載・国内展示会出展・WEB広告掲載が続いたことも功を奏し、私たちの想像をはるかに超える数のお問い合わせや具体的な引き合いが寄せられています。
――それだけ多くの反響があった要因は何だと思いますか。
村松:一言で言えば、現在の検査装置・設備・精度・方法などに不満があり、課題を抱えていらっしゃる企業様が非常に多いということです。
たとえば、「既存の画像処理装置に応用性が無いため、多様なワークに対応しきれない」「求めているレベルの不良品検出ができない」「しきい値を変えると検査精度が崩れる」「ラインを自動化しようと試行錯誤を繰り返したが、結局最適な設備が見つからず、いまだに人海戦術で検査を行っている」「時間やコストが掛かるだけでなく、ヒューマンエラーや品質のバラツキが生じて検査効率が上がらない」等々、現状にご不満を抱かれたりお困りになっている企業様があまりにも多いことに驚かされました。
――それを解決するのが、AIハヤブサなのですね。
村松:はい。AIハヤブサは通常の画像処理ソフトの上をいく人工知能を駆使した性能を有し、案件ごとに異なる課題を解決するためにカスタマイズしてご提供いたします。ソフトだけの開発販売も、ハード面を含めた検査システムとしての提案販売も、どちらにも対応できます。
――AIハヤブサの今後の展開を教えてください。
村松:AIハヤブサは、既に半導体・電子部品・自動車産業・機械部品などはもとより、食品関係・医薬品・農業・水産加工業など、今まで弊社とは全く無縁だった業界からも注目され具体的は引き合いも頂いております。
カスタマイズ製品ですからお客様との打ち合わせを繰り返し、最終仕様が決まるまでに時間を要しますが、このように業種を問わず活用することが可能ですので、これからは既成概念にとらわれずあらゆる産業に向けてAIハヤブサをPRし、ソリューションビジネスとして広く社会に貢献していきたいと思います。
――最後に、ミラック光学としての今後の展望をお聞かせください。
村松:ミラック光学は、創業以来守り続けてきた緻密で繊細な手作業による匠の技(アナログ技術)と、人工知能を活用したソリューションビジネス(ハイテク技術)を両輪としながら、第二の創業としてまさに“明日への扉”を開いて前進いたします。その道のりにおいて、ビジネスの枝葉を広げていきたいと思います。
これからもミラック光学の製品を、どうぞよろしくお願い申し上げます。
――本日はどうもありがとうございました。
あとがきJAPAN WAY のものづくりへ ――。
インタビューをしながら感じたのは、頑なにMADE IN JAPAN へのこだわりを貫いてきたミラック光学に、この5年間で“しなやかさ”が加わったような印象を受けた。
「私はいつも苦労が絶えない」と笑う村松社長の話しの裏には、海外展開や製品開発を進める中で多くの壁にぶち当たりながら、常に諦めずにその障壁を乗り越えてきた情熱や知恵が垣間見える。
“残すもの”と“創るもの”、ミラック光学が新たな舞台に立ったことは間違いない。
世界中から貪欲に知識も技術も取り入れてコラボレーションし、JAPAN WAYのものづくりへ進化しているミラック光学の挑戦は続く。