ものづくりの現場から「明日への扉」第一章
【測定工具顕微鏡】と呼ばれる顕微鏡やその駆動機構を活用した【アリ溝式ステージ】通称XYステージと呼ばれる位置決めステージをご存じだろうか。
技術大国と呼ばれる日本に住む私たちの周りには、すばらしい品質を誇る製品が溢れている。そんな高い品質はどのように維持され、作り出されているのか。想像したことがある方は意外に少ないのではないだろうか ――。
ものづくりの原点となる「はかる」技術をはじめ、製造現場は様々な精密技術によって支えられている。前述した顕微鏡やステージもその一端を担う技術の一つである。
東京の多摩地区で、「日本のものづくり」にこだわり、常に「独自の視点」から製品開発を行い、世界に向けた展開を続ける「株式会社ミラック光学」。
そのミラック光学を牽引する、村松社長を始め、設計部の加納氏、製造部の山北氏を交え、ミラック光学の強み、日本の「ものづくり」への想いなど、様々な話を伺った。
記:ライター 松本
インタビュー日時:2011年10月14日(金)
ロングセラー製品とポリシーの誕生――。
ミラック光学が取り扱う製品の中でも、創業当時から販売されている超ロングセラー製品「メジャースコープ」。そこには今も続くミラック光学のポリシー「絶対に人真似はしない」という想いが埋め込まれた誕生秘話があった。
――「株式会社ミラック光学」の始まりについてお伺いできますか。
村松:創業は私の父の代になります。元々、親父は双眼実体顕微鏡を扱う会社に勤めており、そこからの独立がスタートです。非常に律儀な親父でしたので、自分がお世話になった会社の畑を荒らすようなことは出来ない、前の会社と同じ事は絶対にしないという想いから、単眼の測定顕微鏡という分野にターゲットを絞って開発を始めたようです。親父は設計者でしたので、自分の力一つ、アイデア一つで勝負したいという想いが強かったのだと思います。
――その当時、単眼の測定顕微鏡というものは普通に出回っていたのですか?
村松:今では一般的かもしれませんが、単眼で正立正像(レンズを覗いた時にワークの向きが上下左右共に一致する状態)を実現するためには中に入っているプリズムというものが重要になってきます。
これを親父がある会社と協力して開発し、「単眼」で、「簡易的」で、「現場作業」で使える顕微鏡というものを実現しました。そういうニーズに応える顕微鏡はそれまでなかったようです。もっと大きなメーカーが作られている高額なものはありましたが、我々が提供しているような分野ではありませんでした。
――当時の単眼測定顕微鏡と現在販売している製品との違いはありますか?
村松:マイナーチェンジは幾度となく行なっていますし、ラインナップも増えていますが、基本となる部分やユニット式でいろいろ組み合わせが出来る特長などは同じです。その点では創業時から48年にも渡るロングセラー製品といえます。
――アリ溝式ステージもその当時からあったものなのですか?
村松:顕微鏡で使われていた駆動機構技術を活用したもので、こちらも基本となる部分で考えると、ロングセラー製品の一つです。現在では、画像認識用レンズやエアーピットの開発も行い、製品ラインナップは非常に増えました。特に知的財産権なども含めて力を入れて開発・製造を行なっているのは、アリ溝式ステージです。
先代から受け継がれた「ミラック・イズム」――。
ミラック光学が大切にしているものの一つに「知的財産権」がある。
「知的財産権」というと、一般的に開発力と資本力を持つ企業が、自社の技術――、ひいては利益を独占するために取得するものというイメージがあるかもしれない。しかし、ミラック光学の捉え方はユニークだ。
「他と違うこと」、「人真似は決してしない」そういった想いから、『自分たちが関わるものは全て「知財」と呼べるもの。そういう「ものづくり」を進めていこう。』という決意の現れとして「知的財産権」を捉えている節がある。
あくまで「知的財産権」を「付加価値」として話す姿は、『付加価値のある製品をリーズナブルに提供し続けること』これこそが選ばれ続ける【秘訣】であり、自分たちの【使命】なのだと語っているように感じた。
――自社開発で特許を取っていこうという方針は創業当時からのものなのですか?
村松:親父が開発した技術自体は特許を取り損ねてしまったそうです。ただ、親父はとにかく「人真似」が嫌いでした。そのせいもあって会社が大きくならなかったのかもしれませんが、そのDNAを形にしたものが「知的財産権」の取得だと思っています。私が加納さんと設計について話をするときなどは、すでに二人の間での共通認識になっています。
加納:今でも先代の手書き図面が残っているのですが、どの図面も本当に丁寧で細やかで、見た目や使う人のことを考えた設計で、「オリジナル」へのこだわりを感じる事が出来ます。それと同時に、きめ細かい仕事ぶりはその頃から会社の中で受け継がれている「魂」になっています。
磨かれ続ける「ミラック・クオリティ」――。
製造業の中でも「手仕事」にこだわるミラック光学。
しかし「手仕事」ゆえにマニュアルに出来ない「センス」や「勘所」というものが付きまとう。製造に携わる人同士の「イズム」の共有、その上に積み上げるクオリティの伝播をいかに紡いでいくかが製造に携わる企業の生命線といっても良いだろう。
ミラック光学の強さは、現場リーダーの「中途半端なものって嫌じゃないですか」という言葉が全てを物語っていた。
――製品を丁寧に作り上げていく「イズム」はどのように伝えているのですか?
村松:我々の製品は、私たちのブランドとして世に出す場合と、部品の一つとして世に出される場合の大きく2通りがあります。
前者の場合は、私たちのブランドとして出していくものですから、「100%以上のこだわり」を注ぎ込み、「ミラック・クオリティ」の基準を設けて妥協しないものづくりを進めています。
後者の場合、意識していることは、お客様にとって何が一番大事なのか?ということです。
価格なのか?品質なのか?お客様の言葉は、積極的な妥協なのか?消極的な妥協なのか?
「このぐらいの品質でいいから、代わりにこの価格にして欲しい」というお客様の言葉も真意を理解することが大切だと思っています。
お客様が求めるそれぞれの要求に合わせて120%の満足を目指して提供する。そこに、私たちの「こだわり」を前面に打ち出していくのはエゴだと思っています。
――「ミラック・クオリティ」は創業当時から守られているものなのか、皆さんが作り上げているものなのか、どちらの印象が強いですか?
村松:ベースになっているものは創業者からのDNAによるものだと思いますが、そこに私たちが肉付けをしているという感じですね。
現場リーダーの山北さんには入社した当初からセンスを感じました。この「センス」というものがこの仕事では大変重要で、それをさらに探求心で磨き続ける。仕事を突き詰めて進めていく。そういう姿勢が「クオリティ」を支えているのだと思います。
山北:僕らが大切にしている「手仕事」とは、マニュアルに出来ない部分。最初は転びながら徐々に乗り方を覚えていく自転車のような感覚的なものです。そういう感覚的なものを新しい人に教えていくということは本当に難しいです。一度言って、体験してもらって、試行錯誤してもらう。その中で慣れていってもらう。技術解説が出来る部分は教えて、ちょっと離れてその人にやってもらって、わからないところがあればまた教えて、その繰り返しですね。
村松:センスがないと仕事ができないように思われてしまうかもしれませんが、いま山北さんが話された「ものづくりへの姿勢」も大事な部分です。
――何かそういう部分を鍛えるために普段から心掛けていることはありますか?
山北:自分自身発展途上だと思っているので、自分が作っている製品に対して、もっと自信を持って出せる製品を・・・と突き詰める感覚は常に持っています。
中途半端なものは出したくない――。自分たちが考えるBESTな製品を常に意識して、現場の者同士で気がついたところを指摘し合い、全体で品質を上げていく・・・という姿勢で取り組んでいます。
村松:山北さんを見ていると、時々親父を思い出しますね。
「自分が気に入らない製品は出したくない。」という感覚というか。職人の方って皆そうなのかもしれないのですが、自分が納得するとか。気に入った製品を出したい。という気持ちが非常に似ているように感じます。
――普段から、社内で技術勉強会といったような事はされているのですか?
村松:あえて勉強会という場を設けず、日々仕事の中でそういう話をしています。何かあったときはさっとその場で集まって話し合うという風通しの良さを大切にしています。セクションごとの壁などを取っ払って話し合うと、設計と組立(製造)でぶつかる部分もあったりしますが、そういう所から次の製品の開発に繋がっていくこともあります。
ものづくりに対する想いの証「開発力」――。
ミラック光学が提供している製品や仕組みは独自の視点で開発されていて、特長的なものが多い。独立した開発部署などを準備できない中小企業が多い中、ミラック光学も例外ではない。にもかかわらず、なぜ新製品を世に出し続けることが出来るのか。その秘密は互いに尊敬・尊重し合う社内の関係によるものだった。
――やはり市場調査やリサーチといったことは日々行っているのですか?
村松:市場調査やリサーチを常に行い、アンテナを張り、アイデアやお客様の声を反映・整理して、設計と相談をして、「こんなモノを作りましょう」とか「こんなモノはどうだろう?」といったところから開発が始まることが多いです。
――相談された際に、設計の立場からどんなことを意識されていますか?
加納:それぞれ想いや考えがありますので、ぶつかる時も、意見する時も、さらにアイデアが広がっていく時も色々ありますが、常に正直に想いを伝えるようにしています。私は設計の現場の人間として誇りを持っていますし、社長は経営という立場から広い目で想いを伝えてくれるので、ハッと気がつかされることもあります。上手くお互いの想いが反映され合って相乗効果で一気にアイデアが研ぎ澄まされていくときなどの喜びは計り知れないですね。
村松:僕がアイデアを伝えると、常に投げかけたテーマに対して意識を持って、ホームセンターや新聞記事など、フィールドを問わず、参考になるようなものを買ってきて見せてくれたり、集めてきてくれたりします。そこから、「これ面白い!」とかそういった新しい「気づき」が生まれ、発展していくことが多々ありますね。
――そういった想いのぶつかり合いの中で新製品が生まれ、それが組み立ての方に委ねられていくという流れなのですね。
山北:組み立ての立場から新製品に対してコメントをすることは少ないですが、今現状の製品に対して、ここをもう少しこう変えたほうが・・・といった製品ブラッシュアップの意見は常に伝えています。将来的には組み立ての立場からも、新製品へのアプローチを上手く展開できていければ良いのですが、今は、いかに作業効率アップしながら品質を高めていくか?そういうアイデアを集積していくことが組み立て部門の役割だと思っています。
加納:我々は営業力で勝負している会社でもありませんし、立ち止まっていてはお客様が満足するモノを提供し続ける事はできません。 今話題のiPhoneなどのように、お客様が並んで買いに来てくれるような製品を作り、世に提供していくことが究極のものづくりなのだと思います。そんな製品を作り続けることが理想ですし、使命だと思っています。そのために私たちが取り組めることは、「アイデア」しかないと思うのです。どうしたら並んでまで買いに来てもらえるのか?どういうコンセプトが良いのか?そういったことを日々考え続けることが最善であり最上の方法だと思っています。
村松:我々の製品は工業分野のものですが、女性の意見やアイデアも貴重で大切にしています。僕らの視点とは違う切り口からのアイデアが新たな製品開発に結びつくこともあります。女性の力はミラック光学にとっては非常に重要なファクターの一つです。
「メイド・イン・ジャパン」のプライド ――。
最近、様々な意見にさらされる「メイド・イン・ジャパン」ブランド。
国内の報道や発言から、過去の栄光のように伝えられることも多い。
国内製造の質の高さより海外製造による価格が重要視される今の産業界に村松社長は疑問を抱いている。「やり方次第」と話す村松社長にとって「メイド・イン・ジャパン」は「ブランド」であり「プライド」だった。
――メイド・イン・ジャパンと言うと、我々一般人から見てもブランドと言う印象があり、何かにこだわった良いものを見ると国産という質の高さを改めて感じますよね。
村松:産業の空洞化が叫ばれ、円高が進み、世界的な株安に加え、電力や関税の問題、FTAだとかTPPだとか新聞を賑わせていますし、日本で「ものをつくる」には5重苦6重苦になってしまっています。海外に生産拠点を移してしまうという話も既に一般的ですよね。
そんな中でも僕らはメイド・イン・ジャパンというものは色褪せていくものではないと思っています。色褪せてしまうかどうかは、やり方次第だと思っています。
一方で、今のような環境の中で、ものづくりに面白さや興味、情熱を持ってくれている技術者というのはすごく大切だと思っています。「ものづくり」への熱い情熱を持った方たちがこれからも生まれてきて欲しいと思いますし、そういった方が今後ミラック光学に入社して日本のものづくりを支えていって欲しいなと思います。
「多摩地区から世界へ」世界を見据える企業に ――。
実は日本には様々な地域で、「ものづくり」に強いネットワークが築かれている。
これこそが「技術大国日本」の強さなのだと改めて感じることも多い。
ミラック光学が属する多摩地区全体でも「産業」に対する試みが図られている。
――同業他社の方たちとの技術交流などはあるのですか?
村松:そうですね。同業の方との交流も少なからずありますが、この多摩地区の事業者をバックアップする組織の中で交流を行う事が多いですね。そこでは、互いの業種にとらわれることなく、皆さんが持っているノウハウを出し惜しみせずに教え合っています。
杉並で創業を始めた当社が一度廃業寸前に追い込まれた際に、ここ八王子の地に移ることになったのですが、今思えばこの多摩地区に来て良かったなと思っています。
また、行政が取り組んでいる「多摩シリコンバレー構想」という、この多摩地区を日本の産業の一大集積地にしようという計画も後押ししてくれています。
「はかる」と言うことに携わっている企業が多摩地区には多いこともあり「はかる(測る・量る・計る・・・)」という言葉が一つのキーワードにもなっています。「産学連携」にも地域として力を入れていて、大学での研究と企業の研究開発を結びつけるという試みがよく行なわれていますね。
「情熱の連鎖」がミラック光学一番の強み ――。
今回話をうかがっている中で共通して感じたこと――。
普段取り組んでいる業務内容も、立場も違うが皆それぞれの仕事に対する誇りとここで働く情熱を持っていることだ。それは、今回インタビューに伺った際に応対してくれた事務の方にも感じることが出来た。今まで話を聞いて技術の強さや開発の強さも理解できたが、この「情熱」がミラック光学にとって一番の強みなのかもしれない。
――普段、業務を行っていく上で心がけていることはありますか?
村松:経営者としての想いですが、どの方に対しても、仕事は楽しくやってもらいたいなと思っています。毎日毎日ノルマに追われ、つつかれながら仕事をしていくというのは本当に辛いですし、そういうやり方ではなく、内から生まれてくる想いを大切にしたいです。
もちろん仕事ですから厳しい一面はありますが、やはり仕事は楽しくしてもらいたい。
働きがい、生き甲斐・・・とまで格好良いことは言いませんが、ミラック光学はそういう意味でちょっと違う会社にしていきたいという想いは強いです。
――中でも特に大切にしていることを教えてください。
村松:今、ミラック光学は創業から数えると48年目になります。
再来年の50周年というのは、我々にとって一つの節目になると思っています。半世紀に渡って会社が続くということは大変なことですから、より視野を広げて発展をしていきたいと思っています。そのための人材となる、若い力、新しい力も会社に取り入れて、みんなで成長していきたい。そのためには「情熱」がないと、会社というものは発展しないと思っています。
まずは経営者の情熱。そして、日々生まれてくる課題を解決しようとする開発者の情熱。そこで出来た試作品を生産にのせる段階で必要となる、ものづくりの情熱。それらが一体となってミラック光学は成り立っているのだと思います。
――最後になりますが、社名の由来について教えて頂けますか。
村松:ミラック光学のミラックとは、『光学素子であるミラーが起源で、ミラクル(奇跡)を起こす!ラック(幸運)をもたらす!』という想いを合わせた造語です。「お客様・お取引先様・社員に素晴らしい出来事が起こり幸運をもたらす会社でありたい、そういう製品を精魂込めて作りたい」という願いを込めて命名されました。
――本日はありがとうございました。
あとがき社員に敬語を使いお礼を言う社長 ――。
製造業の社長というと、強面・頑固・偏屈・・・といったイメージを持っていた。同じようなイメージを持っている人も少なくないと思う。
しかし、ミラック光学を訪れて初めて会った村松社長の印象は、「腰の低い、穏和な人」だった。・・・というのも、社員への言葉遣いがそう感じさせたためだ。
今回、話をうかがううちに、それが個々人の技術・能力・スキルに対して、尊敬・尊重し合っている結果であり、役職を超越した意識から生まれている関係性だということが見てとれた。何かのたびに村松社長が「ありがとう!」と伝えているのも、社員一人一人を大切にし、感謝の気持ちをきっと持ち続けているからだ。これもまた、ミラック光学の強さの秘密と言えるだろう。